本当に人の力で助けられるのか?

流産死産
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何かが違うと思ってしまう事。
『流産死産についてのグループ』について。

最初に言うと、決して批判ではありません。
私個人の屈折した考えです。

このブログを始めるとき、「同じように流産死産をした方の役に立ちたい」と思っていました。
このブログを始める前もずっと思っていた。

でもさ、何かが違うという違和感もあった。
何だろう、この違和感。

『助けたい』『思いを共有したい』『力になりたい』
その思いは本当。

でも一方で、
『私には無理』
という気持ちも同じくらい、いや、それ以上にある。
だから数回このようなブログを立ち上げ、消していた。

何故私には助けられないと思うのか?

答えは簡単。
『私は誰にも助けてもらえなかったから。』

そう。それだね。

私は、カウンセリングとか一切受けていません。
何故なら、苦しみを話すのが苦手だから。
一番苦しい時にカウンセリングに興味はあったけど、電話した所で本音話せるか?っていうと話せないと思った。

人前では平気な顔していた私。
相手がカウンセラーだからって、弱音はける?
そもそも、自分の気持ちをうまく伝えられる?
第一、何で私の苦しみを人に言わなあかんの?
話すだけでしょ???

はい、歪んでますよね。
もちろんカウンセリングがとても良いものなのは十分理解しています。
でもその頃の私は、カウンセリングを受けるほど回復出来ませんでした。

不育症のサイトとかにメンバー登録したこともありました。
他の方の経験を見て、共感もしました。
辛いのは自分じゃないことも分かりました。
でも、解決策ではなかった。

不育症の集まりとかもあるのは知っていたけど、参加したことはありません。
理由はやっぱり「面と向かって流産死産の苦しみを言えないから。」です。

もっとずっと苦しんでいる人じゃないとダメじゃないかな。
普通に日常送っている人間はダメじゃないかな。
辛くて辛くて死にそうな人じゃないとダメなんじゃないかな。
話しながら泣くような人じゃないとダメじゃないかな。
そもそも、不育症の後に子供を産んだ人は行ったらダメでしょ。

そう、思っていました。
完全な思い込みですけどね。

なんていうか…「今現在ものすごく苦しんでいる人」じゃないと、カウンセリングも不育症の集まりも行ったら行けない気がしていたんです。

でもさ、本当に「今現在死ぬほどものすごく苦しんでいる状態」だった時って、カウンセリング受けられる状態じゃなかったんです。
それどころじゃない。
苦しみを癒そう、治そうと思える段階まで行けないんです。

多分さ、カウンセリングや集まりに参加するのって、「立ち直ろうとし始めるから」なんですよね。
立ち直りたい、苦しみから解放されたい。
そう思えないと、行けない。

苦しんでいる時って、いけないんです。私はね。

高熱で苦しんでいる時に自力で「病院に行こう」と思えない。
苦しすぎて動けない、布団から出れない、治す気持ちよりも苦しい気持ちの方が大きい。
苦しいながらも少し症状が落ち着いた隙に、病院に行くと思う。

そんな感じかな。

行動に移せるのは、立ち直り始めている証拠。
良い意味でね。

行動に移せている時点で、もう立ち直り始めている。
だから結局、行動に移す前の時が一番苦しい。
そこを救いたいんだよね、本当は。

でもそれが難しい。

だからこそ、ネットがある。
行動を移せなくても出来ることがあるはずだ。

それを配信出来たらいいな。

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