出産後、亡くなった赤ちゃんに出来なかった事に気付く

出産後の気持ち
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4度目の妊娠で初めて生きたまま出産した私。

一週間ほど入院し、自宅へ帰りました。
今度はチャイルドシートに乗せての帰宅です。
生きてるからね。

家に帰ってからは『育児』が始まります。
赤ちゃんはとても可愛いけど、育児はとても大変です。
寝不足と体力不足の中、慣れない育児に奮闘していきました。

この頃、忙しさの中で、死産した赤ちゃんの事で感情が沈む事が少なくなってきました。
目の前の赤ちゃんのお世話をすることで、毎日が精いっぱいでした。

でも、一か月程経って落ち着いた頃、ふと気付いてしまった事がありました。

亡くなった赤ちゃん達には、『育児』をしていない。

生きている赤ちゃんを育てていて感じた事。
それは、
『赤ちゃんのお世話をする=愛情をかけること』
だということです。

授乳やミルクをあげることはもちろん、抱っこしたり、オムツを変えたり、あやしたり…
ただ赤ちゃんのお世話をするのではないのです。
ミルクと一緒に愛情をあげ、抱っこで愛情を伝えるのです。
赤ちゃんを愛しているから、気持ちよく過ごしてほしくてオムツを変えるのです。
赤ちゃんを愛しているから、ぐずっている気持ちを楽にしてあげたくてあやすのです。

『育児=愛情をかけること』
多分当たり前なんだけど、やって初めて実感しました。

そして気付いたのです。
亡くなった赤ちゃん達には『育児という愛情』をかけられていない事に。

毎日話しかけても、抱っこしても、お花やお水を変えても、お菓子やおもちゃをあげても、それは近所の子にしているような行動と一緒で、自分の子供に対する事ではない気がしてしまったのです。

それに気付いてから、生きている赤ちゃんに愛情をかける事に、引け目を感じるようになりました。

抱きしめると、亡くなった子に「私はされてないのに…」と思われる気がして。
可愛いと言うと、亡くなった子に「私は成長出来ないのに…」と思われている気がして。
愛おしいと思うと、亡くなった子に「私にはそこまで思ってくれないの?」と思われている気がして。。。。

完全に被害妄想ですが。
でも、愛情を注ぐことが怖くなってしまった。

その気持ちは数か月続きました。

育てていても、どこかこの子一人に愛情を注いでいいのか不安でした。
亡くなった子たちにも愛情を注がないといけないのに、月日と共に生きている赤ちゃんに愛情が集中してしまうようになった。

産む前は、何度も遺骨を抱いて泣いていたのに。
私は何て冷たい人間なんでしょうね。

もちろん時々あの生き地獄が襲ってきた。
でもね、一通り生き地獄を味わった後、目の前にいる寝ている生きている赤ちゃんをみて癒される自分がいるのです。

最低ですよね。

「生まれてくれてありがとう」
「生きて産まれてくれてありがとう」
言いたいけど言えない言葉。

これを言ってしまったら、思ってしまったら、生きて産まれてこれなかった子供たちを責めている気になってしまうのです。
もちろんそんな事は絶対にないのだけど。

日々赤ちゃんが成長していくのが嬉しい。
でも、それを思うと引け目を感じて辛くなり、その嬉しい気持ちを抑えてしまう。

………。

今も消えたわけではないけれど、そこまで思わなくなってきました。

なぜなら、
『この世のけがれを知らない赤ちゃんが、そんな事考えるだろうか?』
と思うようになったからです。

無垢な赤ちゃん達ならきっとそんな卑屈にならない。
そんな気がしてきたのです。
実際にどう思っているかは分からないけど。
でも、上の子供たちに遠慮して下の子供に愛情を注がない、というのは違うと思ったのです。

『兄弟を平等に愛する』
それは生きている兄弟同士でも難しい事だし、生きている兄弟と亡くなった兄弟だったらさらに難しい事です。

でも、
『育児だけが愛情表現ではない。』
と、年数を経て気付くようになりました。

『想う事』
それも愛情、なんですよね。

目に見えるものだけに囚われてはいけない。
愛情表現はひとつではない。

『育児=愛情をかけること』
だけど、
『育児しない=愛情をかけていない』
ではないんですよね。

愛情表現にはいろんな形がある。
状況に応じて表現方法を変えればいい。

そう、思えるようになりました。

当時の気持ち、そして年月が過ぎてから想う事、両方書いてみました。

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